東京五輪 舛添前都知事 杜撰な競技会場整備計画に大なたをふるった 招致段階の3倍、「4584億円」に膨張した競技会場経費

東京五輪改革 迷走「3兆円」のレガシー 舛添前都知事経費削減 膨張「4584億円」競技会場経費
 競技場の整備計画の問題は、小池都知事の見直しが最初ではない。公費流用問題の責任をとって辞職した舛添要一前知事の時代に大規模な見直しが行われ、整備計画に大なたがふるわれ、整備経費は2000億円も削減され、半減した。
 競技場の整備経費については、新国立競技場は国、恒久施設は東京都、仮設施設は大会組織委員会が責任を持つことが決められていた。
 東京都が担当する恒久施設は、招致計画では整備経費は約1538億円としたが、招致決定後に改めて試算すると当初予定の約3倍となる約4584億円まで膨らむことが判明した。
 海の森水上競技場(ボート、カヌー)は、招致計画では約69億円としていたが、五輪開催決定後、改めて試算すると、約1038億円と10倍以上に膨れ上がった。若洲オリンピックマリーナ(ヨット・セーリング)は92億円から約4倍弱の322億円、葛西臨海公園(カヌー・スラローム)は約24億円から約3倍の73億円、有明アリーナは176億円から倍以上の404億円、東京アクアティクスセンターは321億円から倍以上の683億円に膨張した。招致計画時の余りにも杜撰な予算の作成にあきれる他はない。
 問題は新国立競技場にとどまっていなかったのである。
 舛添要一東京都知事は、「『目の子勘定』で(予算を作り)、『まさか来る』とは思わなかったが『本当に来てしまった』という感じ」とテレビ番組に出演して話している。
 招致計画を策定した担当者は、ほとんど誰も五輪大会の東京招致が実現するとは思わず、作業を進めていた光景が浮かび上がる。
東京五輪大会の招致に名乗りを上げた石原慎太郎元知事
 2020東京五輪大会の招致に名乗りを上げたのは、石原慎太郎元知事である。
 2007年、東京都知事として三期目を迎えた石原氏は、2016夏季五輪大会の開催都市として名乗りを上げ、招致活動を開始した。
 石原元知事は五輪開催で臨海副都心の再開発の起爆剤にしようと目論んだ。
 臨海副都心の開発が本格的に始まったのは、1980年代後半、当初は鈴木俊一都知事(当時)による東京テレポート構想によって始まり、1996年に国際博覧会である「世界都市博覧会」の開催が予定されていた。
 1993年にはレインボーブリッジが開通、1995年にゆりかもめが新橋-有明間に開通、着々とインフラは整備されていった。
 しかし、都市博中止を掲げた青島幸男都知事が当選し、公約どおり1995年、「世界都市博覧会」中止され、臨海副都心は挫折寸前に陥った。それ以後も、1996年臨海高速鉄道が開通したり、臨海部は徐々に「街」として様子を整えていったが、依然として広大な草ぼうぼうの埋め立て地が広がっていた。
こうした中で、メインの会場となる五輪スタジアムを、常設8万人、仮設2万人、10万人収容する巨大スタジアムとして、晴海埠頭に東京都が新設するという計画を立案した。
 その後、五輪スタジアムは国立霞ヶ丘競技場を改修することになり、晴海埠頭の五輪スタジアム新設計画は消え、代わりに晴海埠頭には18,500人収容の選手村が建設されることになる。
 その他、代々木アリーナ(バレーボール)、海の森水上競技場(ボート/カヌー)、 葛西臨海公園(カヌー[スラローム])、若洲オリンピックマリーナ(セーリング)などが新設される。水泳会場は、東京辰巳国際水泳場を改修して使用する計画である
 開催経費は、大会組織委員会予算が3093億円、設備投資予算(非大会経費予算 競技場施設の整備費)が3317億円、計6410億円、五輪スタジアムは898億円とした。
 しかし、2009年のIOC総会で南米初の大会開催を掲げたリオデジャネイロに敗れた。
 2011年4月、東京都知事選で4選を果たした石原氏は、再び、2020夏季五輪開催都市への立候補を宣言して招致員会を立ち上げ招致活動を開始する。招致委員会の理事長は竹田恆和JOC会長である。2012年2月には、招致申請ファイルを国際オリンピック委員会(IOC)に提出した。
五輪開催に冷ややかだった東京都民
 石原氏の五輪開催にかける執念はともかく、都民に五輪大会招致に対する思いは冷めていた。1964東京五輪の感動は忘れてはいなかったが、なぜ再び東京が開催地に名乗りをあげなけれならいのか納得していなかのである。
 国際オリンピック委員会(IOC)が2012年5月に調査した東京五輪大会開催への東京都民支持率調査によれば、賛成が半分を下回る47%、反対が23%、どちらでもないが30%と支持率は低迷していた。同年10月に招致委員会が独自に調査した結果によれは、賛成は67%、反対21%、どちらでもない13%と賛成が大幅に増えたが、競争相手のマドリードの80%、イスタンブールの73%に比べて、大差をつけられていた。
 東京がライバルのマドリードやイスタンブールに勝つには、都民の支持率を上げ、国際世論の支持を得ることが必須の条件だった。
 東京五輪開催に対する拒否反応の主な理由は、巨額の開催経費負担への懸念である。招致計画を立案する東京都は、五輪開催経費を極力縮減し、都民に負担ならない大会開催を掲げた。東京都が整備する競技場の建設予算額は低く抑える必要があった。そして掲げたスローガンが「世界一コンパクトな大会」で、招致申請ファイルの経費総額は7,340億円(大会組織委員会3,013億円、非大会組織委員会4,327億円)とした。
 実現可能性を真剣に検証して算出された経費ではなく、明らかに経費総額を抑える「見せかけ」の数字であった。とにかく開催経費を低く見せればよいという発想だったと思われる。
 こうした意識が蔓延した背景には、「まさか本当に東京に五輪がくるわけはない」といった無責任とも言える意識があったことが窺われる。「旗振れども踊らず」は、国民だけでなく関係者にも浸透していたのである。
 2020東京五輪大会の開催計画は、2016大会の臨海部を中心に競技場を整備して開催するという計画をほぼそのまま踏襲していた。変更したのは、新国立競技場の建設地を臨海部から旧国立競技場の跡地に変えたことや、IBCの設置を晴海地区に新設する計画を東京ビックサイトに変更し、晴海地区に選手村を整備することだけで、大半の競技施設の整備は、新たに検証することなく、2016大会の計画をそのまま引き継いだ。
 ところが「晴天の霹靂」、東京大会招致が決まって、2020開催計画を策定した担当者は大慌てで整備予算を「真面目」に見直しのである。その結果が、「1538億円」の約3倍となる「4584億円」という数字になって現れたのである。
 まさに無責任体制の象徴だった。
 
経費削減に動いた舛添都知事 「削減効果」は2000億円
出典 TOKYO MX NEWS 2014年6月10日 所信表演説

 2013年12月、猪瀬直樹東京都知事は、医療法人「徳洲会」グループから5000万円の資金提供を受けていた問題で、「都政を停滞させ、国の栄誉がかかったオリンピック・パラリンピックを滞らせることはできない」として辞職を表明した。猪瀬氏は、国政転出のため任期半ばで辞任した石原氏から後継指名を受け2012年12月に行われた都知事選に立候補、過去最高の433万票を獲得して初当選した。2020東京五輪大会の招致活動に力を入れ、2013年9月には東京五輪大会の招致を実現する。
 2014年2月、猪瀬氏の辞任を受けて、都知事選が行われ、自民党・公明党の推薦を受けた舛添要一が、共産党・社民党など推薦の宇都宮健児氏や民社党など推薦の細川護熙氏を大差で破って初当選した。
 2014年6月、舛添要一都知事は所信表明演説で、競技場整備計画の大幅な見直しを表明した。
 そして11月には、新設する5競技場の建設中止を含む大幅な見直し案を明らかにした。見直しに伴う整備費の削減効果は2千億円規模に及ぶ。
 舛添氏は「施設が大会後の東京にどのようなレガシー(遺産)を残せるのか、現実妥当性を持って見定めていく必要がある」と述べた。
 舛添氏は、記者会見で、都内で開かれた国際オリンピック委員会(IOC)との調整員委員会でおおむねの合意を得たとし、会議でコーツ調整委員長はコスト削減のため、サッカーやバスケットボールの予選を地方都市の既存施設で開くことを推奨し、候補として大阪を提案したことを明らかにした。
5つの競技場を建設中止
 建設が中止される競技場(恒久施設)は、夢の島ユースプラザ・アリーナA(バトミントン)、夢の島ユースプラザ・アリーナB(バスケット)、ウォーターポロアリーナ(水球)(新木場・夢の島エリア)、若洲オリンピックマリーナ(セーリング)、有明ベロドローム(自転車・トラック)の5施設である。
 バトミントンは、武蔵野森総合スポーツ施設(東京都調布市)、バスケットはさいたまスーパーアリーナ(さいたま市)、 水球は東京アクアティクスセンターに隣接する東京辰巳国際水泳場、セーリングは江の島ヨットハーバー(藤沢市)、自転車(トラック)は日本サイクルスポーツセンター(伊豆市)内の伊豆ベロドロームで開催することになった。
 東京ビッグサイト・ホールA (レスリング)と東京ビッグサイト・ホールB (フェンシング・テコンドー)は、幕張メッセ(千葉市)となり、レスリングとフェンシング、テコンドーの3つの競技会場となった。
 自転車競技のマウンテンバイク(MTB)ては、有明地区にマウンテンバイク(MTB)コースを仮設で整備する計画だったが、日本サイクルスポーツセンター(伊豆市)のMTBコースに変更することが決まった。しかし、自転車(BMX)は、若者に人気のある競技で都心部に隣接するエリアで開催したいという競技団体の強い意向で、当初予定通り、有明地区に仮設施設を建設して開催するとした。
 また、夢の島地区に仮設施設を建設する予定だった馬術(障害馬術、馬場馬術、総合馬術)の会場は整備を取りやめ、馬事公苑(世田谷)に変更した。
 馬術(クロスカントリー)は海の森クロスカントリーコースを海の森公園内に仮設施設として整備して予定通り行われる。
夢の島ユースプラザ・アリーナA(バトミントン)、夢の島ユースプラザ・アリーナB(バスケット) 完成予想図 出典 以下2020招致ファイル

若洲オリンピックマリーナ(セーリング) 完成予想図

有明ベロドローム(自転車・トラック) 完成予想図

2000億円削減して2241億円に
 カヌー・スラローム・コースは、葛西臨海公園内に建設する計画だったが、隣接地の都有地(下水道処理施設用地)に建設地を変更した。葛西臨海公園の貴重な自然環境を後世に残すという設置目的などに配慮して、公園内でなく隣接地に移し、大会後は、公園と一体となったレジャー・レクリエーション施設とするとする整備計画に練り直した。
 一方、トライアスロンに予定されているお台場海浜公園は、羽田空港の管制空域で取材用ヘリコプターの飛行に支障が生じることや水質汚染に懸念があることなどで横浜などへの会場変更が検討されたが、結局、変更せず、お台場海浜公園で計画通り行うこととなった。
 また7人制ラグビーは新国立競技場から味の素スタジアム(東京都調布市)に変更となった
 こうした計画見直しで、競技場整備経費を約2000億円削減し、約4584億円まで膨らんだ経費を約2469億円までに圧縮するとした。

 その後、IBC/MPCが設営される東京ビックサイトに建設する「拡張棟」は当初はIBC/MCPとして使用する計画だったが、レスリング・フェンシング・テコンドーが幕張メッセに会場変更となり、その建設費約228億円を五輪施設整備費枠から除外するなどさらに削減し、約2241億円となった。もっとも「拡張棟」は五輪大会準備を目的で建設されたものであり、計画が変更したとしても経費を負担することには変わりはないのだから、「見せかけ」の操作と思われてもしかたがない。
 2241億円のうち、新規施設の整備費が約1846億円、既存施設の改修費などが約395億円とした。
杜撰な開催経過の象徴 海の森水上競技場 若狭若洲オリンピックマリーナ
 海の森水上競技場は、カヌー・ボート競技の会場として東京湾の埋め立て地の突端にある中央防波堤内側と外側の埋立地間の水路に整備する計画である。
 全長2300mで、2000m×8レーンのコースが設置され、コース内の波を抑えるために、コースの両端に水門と揚水機を配置し水位のコントロールする。
 カヌー・ボートのコースとしては珍しい海水コースである。
 海の森水上競技場の整備経費は、招致段階では69億円としていたが、五輪開催決定後、改めて試算すると、約1038億円と10倍以上に膨れ上がった。
 海とコース水面との締め切り堤や水門、護岸工事を始め、コースの途中にかかる中潮橋の撤去、ごみの揚陸施設の移設などの工事が必要となったのがその理由である。
 若狭若洲オリンピックマリーナは、江東区若洲の埋め立て地の南端部分に恒久マリーナとして整備して五輪大会のヨット会場とし、大会後は東京都が所有して、首都圏だけでなく国際的なセーリング競技やマリンスポーツの拠点として活用していく計画だった。総観客席数は5000(うち立ち見3000)も整備して本格的なセーリング会場を目指した。
 若洲地区は東京ゲートブリッジで海の森水上競技場とも結ばれる予定で、大会後は水辺の森、水と緑に囲まれたエリアとして市民に親しまれる空間となるとした。
 しかし、埋立地のために地盤が悪く、護岸の大規模な改良工事が必要となり、整備経費は、当初の92億円から約4倍弱の322億円に膨れ上がった。
 ふたつの競技場の見直しの理由を見ても、当初から建設予定地の調査を適切にしていれば簡単に分かった懸案だろう。東京湾の海に面していて波の影響が心配しない建設計画がどうしてまかり通ったのか唖然とするほかない。
 こうした杜撰な整備計画の積み重ねで、「1538億円」から約3倍の「4584億円」に膨れ上がったのである。

 東京都は、開催都市として、2006から2009年度に「開催準備基金」を毎年約1000億円、合計約3870億円をすでに積み立てている。この「基金」で、競技施設の整備だけでなく、周辺整備やインフラの整備経費などをまかなわなければならない。東京都が負担する五輪施設整備費は、4000億円の枠内で収まらないのではという懸念が生まれている。競技場の建設だけで2241億円を使って大丈夫なのだろうか?
「コンパクト五輪」の破産
 東京オリンピック・パラリンピックの開催計画では、33競技を43会場で開催し、その内、新設施設18か所(恒久施設8/仮設施設10)、既設施設24か所を整備するとしている。既設施設の利用率は約58%となり、大会組織委員会では最大限既存施設を利用したと胸を張る。
 しかし競技場の変更は9か所にも及び、予定通り建設される競技場についても上記のように“迷走”と“混乱”を繰り返した。
  2020年東京オリンピック・パラリンピックの招致計画のキャッチフレーズは、「世界一コンパクトな大会」、選手村を中心に半径8キロメートルの圏内に85%の競技場を配置すると「公約」した。1964年大会のレガシーが現存する“ヘリテッジゾーン”と東京を象徴する“東京ベイゾーン”、そして2つのゾーンの交差点に選手村を整備するという開催計画である。しかし、相次ぐ変更で「世界一コンパクトな大会」の「公約」は完全に吹き飛んだ。

定義項目2
説明項目2が入ります。